日本女性会議は、国内では最大級の女性会議である。 2009年に堺で開催されることになった。
話の発端は2007年の8月、東京元麻生にある南アフリカ共和国の大使公邸で開催された「南アフリカ女性の日」の記念研修会でのこと。ティーブレイクの時に、内閣府男女共同参画局の板東久美子局長が、山口典子委員長に話しかけられた。「実は、日本女性会議、今年は広島で、来年は富山市なんですが、さ来年の受け手が決まっていなくて困ってるんです。色んな方にご相談したんですが、樋口恵子先生が、それなら堺の山口さんに頼んでごらんなさいとおっしゃったので、他の方々にもお伺いしたら、堺が今一番元気だから、とおっしゃるんですが、山口さん考えていただけませんか」と。
山口委員長は「わかりました。」ともう実はその時すぐにやる、と決めていたそうだ。しかし「堺へ持ち帰って相談します。ただもし堺市の行政がだめっていっても、私たちでできるだけのことをしたいと思います。」と答えたそうだ。
それから3ヶ月。なんだかんだとYesかNoの答えが3ヶ月も待たされた。どうやら議会の中で色々と意見が出ているらしい。誰も表だってはおっしゃらないが。
典子委員長はその後、担当の市民人権局や男女共同参画担当、そして市長に会うたび「やりましょうよ。どうなってるの?」と迫った。その間にSHARPが堺浜で起工式を行い、その時にはSHARPの片山社長にも「日本女性会議のときにはどうぞよろしく」とお願いした。JICAの緒方貞子理事長からの依頼で、男女共同参画プログラムの研修生(カンボジア、エチオピア、ナイジェリア、ウズベキスタン、ベトナム、ザンビア)を受け入れた。
堺の名物店「たこ吉」にも一緒に行った。 彼らが帰った日に、「堺市として日本女性会議をやる」と連絡が入った。2007年の12月半ばであった。
日本女性会議の準備は通常3年かかる所、堺は正味1年半。猛チャージ。そんな大きなことやったこともなく、小さなイベントにも慣れていない役所の人たちと、力を合わせてつまずきながらスタートした。2008年6月に実行委員会設立総会。典子委員長は委員長代行。現職の議員でもあるので一歩ひいたが、堺市女性団体で培われた交渉力と人脈と持ち前の“あきらめない性格”の力が発揮されなければ、これは成功しないに決まっている。
出会いと人を大切にする典子委員長ならではの話だ。奇しくも女性団体60周年。 そして日本女性会議が10月30日、31日、11月1日に開催される。すごいっ!!
堺市女性団体協議会 事務局 堺市女性団体協議会「創立60周年記念誌」より |