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UNIFEM日本事務所開設の思い出 10月16日

おはようございます。

2009年10月29日に、

現在のUN Womenの前身である

UNIFEM(国連女性開発基金)の日本事務所が

開設されました。

英語版もあります。

アジア初、世界で4番目のリエゾンオフィスです。

この日は、翌日に日本女性会議 in 堺が開催される前日。

竹山市長が初当選されて間もない頃でした。

当日はニューヨークの国連本部から、

イネス・アルベルディー事務局長はじめ

南アフリカ共和国の駐日大使、

関西の各国の総領事、外務省の関西大使、

UNIFEM日本国内委員会の理事の皆さんや堺市議会の先輩、

堺市行政の皆様そしてミレイ・ヒロキがつどい、

平和の白い鳩が青空に飛び立ちました。

当時の岡田外務大臣からのご祝辞もいただきました。

この後、2011年には、

UN Women日本事務所として名称変更されました。
丸4年間、正式な国連機関として活動してきましたが、

2013年国連本部の財政状況の悪化により、

残念ながら2013年10月31日をもって撤退の運びと

なりました。


竹山市長はこの事態に随分、ご尽力くださいましたが、

その後UN Women本部の
ミチェル・バチェレ事務局長(現チリ大統領)が

堺市に来られ、竹山市長および堺市議会にUN Womenの

セーフシティー・グローバル・イニシアティヴへの
参画を依頼されました。


竹山市長は昨年12月27日に

セーフシティープログラム

(女性と女児への暴力のない安全安心なまちづくり)に
正式に調印され、

今後、堺市は実質的なUN Womenの活動を
スタートすることとなりました。


やはりこれも世界各国の首都が行うプログラムを
わが国では、
堺市が行う、
先進国では世界で2番目の参画です。

時、あたかも奇遇ですが、
現政権がUN Womenを支援すると宣言され、

突然10億円の政府拠出金を出されています。

その後UN Women本部から、堺市にも私たちにも

セーフシティープログラム以外の正式の連絡は
今のところありません。


今日は、午前9時から?島屋の女性創作展の会場にはいり、

出品作品の審査会、その後すぐに堺市の公務として

内閣府 男女共同参画局と外務省に行きます。


その後水防議会の視察で石巻市と気仙沼に向かいます。

今から出張の準備をします。


それにしてもこの開所記念式典の自分の顔をみていると
疲れてるなー!!!

市長選直後だったですし、
さらに日本女性会議の準備もあって、

あたりまえかもしれないけれど、苦笑してしまいます。^^


やっぱり人の道には、
いくつもの曲がり角がありますね。

でも「赤毛のアン」がくれた勇気、

「曲がり角の向こうには、きっとよいものがある。」

と確信しています。


多くの方々のあたたかな想いとご支援に、

あらためて感謝しています。

皆様におかれましては、

今日も感謝にあふれる幸せな一日でありますように。