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ジェンダーに敏感であること 5月30日

今月中旬の堺市女性団体のリーダーズサミットの教育分科会で、

中区の校区の会長さんたちから、
「堺の学校での人権教育はどうなっているのか」
「ジェンダーに敏感な教員の養成はどのようにしているのか」
とかなり、深い質問が出て、皆さんで協議されたとのこと。

ジェンダーに敏感であるためには、
まずジェンダーとは何かを知っていなければならない。
ジェンダーを辞書で引くと「性」と出てくる。
「性」といういわゆる生物学上の雌雄の区別はセックスであるが、

ジェンダーは

「社会的、文化的、後天的につくられた、

男女の固定的役割や、固定的な女性像、男性像」
のことをいう。

たとえば、夏になるとビールのCMが増えてくる。

かつて堺市女性団体はメディアウォッチをジェンダーの視点から行い、
女性を「性的対象として商品化」しているCMの調査を行いました。

ビールと言えば、裸に近い女性の水着、が定番でしたね。
ビール会社に抗議。
最近は、服を着た男性と男女入り混じった

健康的なCMになっていることにお気づきでしょうか。
政府刊行物や、行政のパンフレットも

すべて税金で作成されている啓発パンフなどについても調査し、

運動を行い、今や国において刊行物の「指針」まで作られて

ジェンダーに敏感なものしか出回っていません。

これらの運動はすべて堺市の

私たちからの発信によって改善されてきました。

ジェンダーに敏感かどうかは、

組織の構成や役員構成などにおける、まず男女比でわかります。
堺市は、やっと3人いる副市長の中に女性が一人配属されました。


「そんなもん、男も女もないやろ、あくまで実力やろ」という

声が聞こえてきそうですね。
実際よく言われてきました。
この世の中、本当に実力があるから男性のトップが多いのでしょうか?

なぜ、ジェンダーに敏感であることが必要なのか。
まず、さまざまな政策決定を行うときにその場が男性ばかり、

であれば必ず大きな失策が生まれます。
たとえば堺市の人口は約84万2600人。

そのうち女性が43万人です。
この世の半分は女性です。
なのに市民生活の施策を女性抜きにして考えるというのは、

まずナンセンス。

とくに高齢社会における福祉部門や

少子社会における子育て施策を行うのに、

ほぼこの社会の再生産活動を無償で担っている

女性の視点や考え方を無視する形で政策が
決定されるなんておかしい!
と、このように考えられることが「ジェンダーに敏感であること」なのです。

男だからこうあれ、こうしちゃいけない、

女だからこうあれ、こうしちゃいけない、

というような考え方も、それぞれの人生の生き方を限定し、

矮小化してしまいます。

それこそ男性であれ、女性であれ、

もっと自由に生きてこそ、その能力が発揮され
社会の発展につながるはずです。
それが男女共同参画社会、ジェンダー平等社会の目的です。

もう世界はまちがいなくその方向に動いているし、

各国の施策もジェンダー主流化アプローチによって、

すべての政策をジェンダーの視点から見直し、

5か年計画などを作って実行しています。

経済の発展のためにも女性のエンパワメントがいかに重要であるか、

日本の経団連さえそのことを主張される時代になりました。

男女共同参画は、「啓発」だけでは実現しません。
人権問題は「教育」によってこそ解決し、前進するのです。
だから、ジェンダーをはじめとする「人権に敏感な教員」が必要ですし、

当然行政や、政治家は、

その基本資質として求められるものだと私は思います。