ホーム活動日記日記 > 山田登世子先生を悼む 8月9日
活動日記
月ごとに読む

山田登世子先生を悼む 8月9日

仏文学者の山田登世子先生が突然逝ってしまわれました。
今日夫さまからご連絡をいただき愕然としました。
秋には堺の利晶の杜の完成記念のご講演の予定でした。

 

201608090501.jpg

フランスのシャネルの研究者であり、鉄幹、晶子の研究者であり、

なんせ、ほんまもんの文学者でいらっしゃいました。
先生との出会いは、ご著書の『晶子とシャネル』でした。

時々、登世子先生と真夜中にいろんなお話をしました。
それはもう魅惑的な時間で、なにかしら典子さんとはウマが合うわねと、
とめどなく溢れるパリや文学の話は、いつしか政治談議となり、
楽しい時間でした。

 


201608090502.jpg

 

 

毎年5月頃には、お互いの庭の薔薇の話に埋没し、
司馬遼太郎さんが「私の誇る人」で絶賛し、
あの梅村龍三郎の薔薇の絵のモデルとなった
岸和田の津志本さんの薔薇をお送りすると、たいそう喜んでくださいました。

元々、10年ほど前に、晶子のご講演を依頼したところ、
「堺市は晶子のような偉大な文学者をきちんと顕彰していない」と
いたくご立腹で、事務局が再三依頼しても、
なかなかご承諾いただけないところ、
たまたま居合わせた私が電話に出てお話すると、
一気にお引き受けくださいました。

初めてお会いした時の登世子先生は、日本版ココ・シャネルそのものでした。
 

 

201608090503.jpg

 

 

華奢なお身体に反して精力的なお仕事ぶりでしたが、

命を削っておられたのですね。

特に利晶の杜の、晶子記念館の様々な監修は、
登世子先生の無償のアイデアが満載なのです。

もっと話したかったのに。つらいです。