仏文学者の山田登世子先生が突然逝ってしまわれました。
今日夫さまからご連絡をいただき愕然としました。
秋には堺の利晶の杜の完成記念のご講演の予定でした。

フランスのシャネルの研究者であり、鉄幹、晶子の研究者であり、
なんせ、ほんまもんの文学者でいらっしゃいました。
先生との出会いは、ご著書の『晶子とシャネル』でした。
時々、登世子先生と真夜中にいろんなお話をしました。
それはもう魅惑的な時間で、なにかしら典子さんとはウマが合うわねと、
とめどなく溢れるパリや文学の話は、いつしか政治談議となり、
楽しい時間でした。

毎年5月頃には、お互いの庭の薔薇の話に埋没し、
司馬遼太郎さんが「私の誇る人」で絶賛し、
あの梅村龍三郎の薔薇の絵のモデルとなった
岸和田の津志本さんの薔薇をお送りすると、たいそう喜んでくださいました。
元々、10年ほど前に、晶子のご講演を依頼したところ、
「堺市は晶子のような偉大な文学者をきちんと顕彰していない」と
いたくご立腹で、事務局が再三依頼しても、
なかなかご承諾いただけないところ、
たまたま居合わせた私が電話に出てお話すると、
一気にお引き受けくださいました。
初めてお会いした時の登世子先生は、日本版ココ・シャネルそのものでした。

華奢なお身体に反して精力的なお仕事ぶりでしたが、
命を削っておられたのですね。
特に利晶の杜の、晶子記念館の様々な監修は、
登世子先生の無償のアイデアが満載なのです。
もっと話したかったのに。つらいです。