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山田登世子先生との会話

おはようございます。
明るい光が、夏らしい朝です。

敬愛するフランス文学者の山田登世子先生が、急逝されて一年。

追悼集を作るので、と夫様からご依頼いただき拙稿をお送りしていました。

 

 

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山田登世子先生に、堺市はとってもお世話になりました。

かつて「堺は、与謝野晶子の生誕地でありながら、
きちんと顕彰していない。」
というお言葉から始まったお付き合い。

私たち、堺の女性団体が晶子記念館の建設を30年も前から運動し、
堺市に働きかけて来ていたこと、25年も前に世界初の晶子の
等身大の大理石像を市民の浄財を集めて建立していたことを伝え、
ようやく竹山市長が、利晶の杜を決断され、
その内容に随分と堺市の学芸員の方々にアドバイスをしてくださり、
晶子に関して専門の藤原書店さんや田村書店さんを
ご紹介して下さったのです。

そして、去年の11月には堺の利晶の杜での
記念講演が予定されていました。

その前の8月8日、急逝されてしまいました。

登世子先生との真夜中のお電話での会話は、
いつもわたしの心の珠を磨かれるような、文学、モード、政治談義は、
それはそれは、見事な言葉の宝箱でした。

あらためて、山田登世子先生という文学者の豊かな才能と、
ほんまもんの学者、研究者としてこの世に放たれた叡智が
まとめられた「月の別れ」。

心からの感謝を込めて、これからもっと登世子先生との会話を
続けて行きたいと思います。

今日は、地域まわりとお世話になった方の告別式。

大綱質疑の質問を深め、整理します。