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重度重複障害者団体、永藤市長と面談 8月28日

今日、堺市で60年以上、肢体不自由児者父母の会として
重度重複障害の子どもさんを育てながら、
この国と堺市の福祉制度を忍耐強く創って来られた
役員の皆さんのご要望で、永藤市長との面談が叶いました。

 

 

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子どもさんが50代、親御さんはほぼ80代。...
ベルデに入所できている方以外の皆さんは、
ご自身の亡き後の子どもさんたちの安心な暮らしの場所の確保を
お願いしておられました。

永藤市長は、始終 真摯な姿勢と眼差しで、

しっかりと傾聴されていました。

 

父母の会の60年の記念冊子も、事前にきちんと読んで、
面談にのぞまれていました。

私は、市長選挙の時から、永藤市長のお辞儀がとても丁寧なことに、
実は驚いていました。

いつだったか、なぜそんなにお辞儀を綺麗になさるのですか?
とお尋ねすると、
「市校区の戦没者慰霊の式典の時、年配の女性に、
お辞儀をきちんとして、相手の目をしっかりと見なさい。
と指導をされたんです。」とおっしゃいました。

今日も、最後に大変誠意のある、市長としての障害者と
そのご家族に寄り添ったお考えを述べていただきました。

皆さんの施設にも視察に行かれると。

そして皆さんに、また深々とお辞儀をなさいました。

すべては堺のために…。

 

私は父母の会の皆様とは、もう40年来のお付き合い。
一緒にボランティアをしながら、時には議会で真剣に訴えて
政策を実現してきました。

私の福祉の原点は、幼い頃から父がわが家で共に育ててくれた
父の弟、つまり叔父。

ポリオによる両足小児まひの叔父を育てていた両親の姿であり、
毎日叔父を百舌鳥の養護学校まで、私や弟2人を連れて
送り迎えをしていた時の、阪和線の乗り降りで、
叔父に浴びせられた冷たい視線や舌打ちへの悔しさです。

 

父の21歳年下の叔父はもう他界しました。
奇しくも、今日市長応接室であの頃を思い出していたら、
亡き叔父の家族がみんなで父のお参りに来てくれていました。

会えませんでしたが、なんだか込み上げてくるものがありました。

 

9月議会が始まります。

市政のトップが変わって、職員の皆様も議会も、市民の皆様も、
なんとなく不安な方もいらっしゃるように見受けますが、
私は、方向性と説明責任を果たしながら、落ちついて、
一歩一歩市民の皆様と共に、市民の皆様のために進むことに、
変わりありません。


今日、市長と面談された皆さんは、聴いていただけてよかったと、
喜んでおられました。

ありがとうございました。