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コロナ禍のO-157学童集団下痢症追悼と誓いのつどい 7月13日

昨日、雷雨のあと、堺市O-157学童集団下痢症の
追悼と誓いのつどいが挙行されました。

コロナ禍で式典は15分間とされ、ご挨拶は市長のみ。
平時なら議長、医師会会長、教育長が追悼と誓いの言葉を述べられます。

代表献花が行われたあと、一般献花が行われました。
一般献花も人数限定ですが、ほとんど女性団体の役員さんと
市教委と健康福祉局の職員さんでした。

いつもなら学校園の校長先生方など多くの方々がお越しになります。

去年に引き続き、コロナ禍のつどいとなりましたが、
厳粛に静かに行われました。

 

25年の歳月が過ぎました。あの事件を風化させないこと、
失ってしまった生命に寄り添って行くことのために、
忘れない日を決めて、このつどいを行い続けることは、
本当に容易なことではありませんでした。

 

ご遺族の堺市に対する思いが、きちんとまとめられるまで、
例えば「永遠に」の碑も建立されたのは、事件の18年後の
平成26年です。

私は、最初から関わり続けて来ました。
本来ならこの追悼と誓いのつどいにご遺族も
ご出席いただきたいところでしたが、
堺市に対するご遺族の思いを尊重してきました。

 

けれど、この追悼と誓いのつどいをさせていただいてよいかどうか、
最初にご遺族と直接お話しさせていただいた時、ご遺族から、

「私たちは、出席しませんが、今となって望むことは、娘の死を、
事件を忘れずに風化させないでほしい。」ということでした。

 

私たちは、そのご遺族との約束を守り続けています。
それは個人的な約束ではなく、堺市と私たち市民の生命への
誠意や責任であると考えます。

 

かつて、いつまでこのつどいを続けるのか?と私に言った教育長がいました。

政令市になったら堺市がこのつどいを主催するとは、
自分は当時の教育長から聞いていなかったと、
つどいに出席しなかった市長もいました。

 

いずれ、私はこのことも含めて、一冊の記録が書けると思います。

学校給食を食べて、4人のこどもの生命を奪った責任は、
誰がどう取るべきなのか。裁判をして、数千万円のお金を払って
済むことなのか、ということです。

 

今、コロナ禍における感染症対策、体制も含めて、
きちんと対処する必要があります。

 

ただただ、あの日、あの時の少女たちの思い…。

おばちゃん、わたしなんで死んだの?

と問われている気がします。

いつも碑の前で、ごめんねと手を合わせるしかできない。

生き返ってほしい。

自分にとっては、つどいは毎年つらい時間です。

 

 

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代表献花をさせていただきました。

 

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一般献花は女性団体の役員さんが毎年。

 

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岡下 昌平内閣府政務官も一般献花をしてくださいました。

 

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健康づくり市民会議の会長で医師会会長の西川正治先生。

 

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池尻秀樹堺市議会議長。

 

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堺市長、思いが込められていました。

 

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日渡教育長も代表献花の締めを。