ホーム活動日記日記 > パフォーマンス政治の罪 4月17日
活動日記
月ごとに読む

パフォーマンス政治の罪 4月17日

インターネットによるICT社会になり、

確かに堺に居ながらにして瞬時に、

世界中の人と国際電話など使わなくても、

パソコンで無料で相手の顔を見ながら話すことが

できるシステムもあります。

けれどまだまだ、メディアでは、

テレビが圧倒的な影響力を持っています。

パフォーマンス政治・・。

その走りは、小泉政権でしょう。
大きな声で自民党の総裁選挙で

「自民党をぶっ潰す!郵政民営化!」と躍り出た小泉さん。
小泉劇場といわれるほど、

国民の関心が政治に向けられるようになりました。
しかし結末は、どうでしょう。
私たち国民にとって「医療の改悪」が行われました。
郵政の民営化と言っても、

何がどう変わったのでしょうか。

その次が、「政権交代」です。
自民党から、民主党に。
その結末はまだかもしれませんが、

ひどいものです。
あの事業仕分けの影響がいまだに続いています。
ほとんどテレビで情報が流されていません。
「仕分け」をされているのは、

私たち国民生活に密着している大切な施設や組織ばかりです。
たとえば「国民生活センター」を廃止。

消費者庁に統合。

国民の消費生活をつかさどる国民生活センターが果たしてきた役割は、

地方自治体の消費生活センターとの連携で

消費者問題の解決をする点において非常に大きいものでした。
消費者庁で何ができるでしょうか。

「女性と仕事の未来館」もつぶされてしまいました。
今、独立行政法人「国立女性学ジェンダー研究センター」

いわゆる国立婦人会館の廃止が協議されようとしています。

他にもたくさんあります。

けれど、たとえば堺の阪神高速大和川線やスーパー堤防の話など、

最初は廃止や中止が言われていましたが、一応元に戻ったようです。
大きな利権が絡んでいるところには、「仕分け」がされないのです。

さらに言うなら、

国会議員自身の身を削る「政党助成金」や

宿舎の家賃などの問題は「仕分け」の対象にすらなっていません。


結局「消えた年金」の問題も新しい年金制度の問題もピントが外れたまま、

さらに改悪の方向です。

東日本大震災や福島原発の問題についても、

なんら本当に今困っている、これからも困るこの問題について、

なんら有効な対策は打たれていません。
なのに、がれきの移動や、大飯原発の再稼働など、

これらも何らかの「利権」がらみとしか思えませんが、

そんなことばかりに走っている。

蓮舫議員を「カオ」にして、

民主党政権が行ってきた「仕分け」は、

わたしたち国民の生活を困窮の方向に持って行っています。

ということは「国民不在」の「仕分け」、

一時のパフォーマンスであり、肝心な改革は全くなされず、

逆に裏で、国民生活や「人権」や「平和」もまったく無視した

「仕分け」をしながら「利権」が働いているというのは、

許すまじきことです。

一方大阪でも、橋下さんは大きな行財政改革を行いながら、

府民や市民に密接した文化、教育、人権施設などを廃止または縮小、

予算の全額カットなどをしています。

確かに国や府、大阪市などにおける公共施設の在り方については、

「お役所仕事」で運営されているところは、無駄が多いのは事実です。
でもだからと言っていきなりの廃止、というのはもっと慎重にしないと、

総合的な政策として、じゃあ府民や市民のそこで培われたネットワークや、

パワーがつぶされてしまうことになります。

パフォーマンスはその瞬間だけ、

「なにか、すごいことをやってくれている」という「感じ」を

国民や市民に思わせることができても、

数年たって「えらいことになってる、困った」と気づいたとき、

困るのはいつも国民と市民なのです。

誰が政権を取るか?

私たちは「政権」のために税金を払っているのではありません。
「政権」は国民を無視した「利権」であってはならないのです。

結局、「利権」獲得のための「政権」なら、

その闘争の中で、泣かされるのは国民です。

テレビというメディアには、

政治報道をする際には、その責任があります。
きちんと表も裏もわかるように報道しないと。
とはいえ、民放は多くの民間企業のスポンサー料で成り立っているのです。
公正な報道というのは難しいはずです。

しかし公共放送は「国民の福祉向上に貢献する」とういう

憲法に定められた義務を果たす責任があります。

番組を見た判断は視聴者に委ねるといいながら、

特定のパフォーマンス政治を、

持ち上げたり、たたいたりを繰り返すだけでは、

無責任というものです。

冷静で公正な報道が必要です。

結局「利権」に走っているような、

パフォーマンス政治は大きな「罪」だということを暴いていくのが、

「報道」だと思います。

私たち自身が、この現状の中で、

しっかりと見極め、考えていかなければ、

「政権」が誰に変わっても、だんだんひどくなっていくような気がします。