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邂逅の宝 <東京レポート2> 4月28日

豊橋あたりから新幹線の車窓に雨粒が当たり、東京は雨でした。
午前10時 国連大学の8階の国連広報センターUNICに。
山下真理所長は、とっても素敵で、凛とした方。

話していても、書いておられるものを読んでも、

的確で無駄がありませんし、内容が深い。

けれどあったかい人間味を感じさせる方なのです。

これからの国連は、こういう女性がどんどん高い地位につかれることは、
容易に推測できます。
初めて堺にお越しいただけることになりました。

UNICの日下部さんという若い女性職員の方も、

もう長いお付き合いですが、

とても優秀で感じのいい方でお世話になっています。

とにかく仕事ができる人。
京都ご出身の日下部さんは、大阪弁を聞かれるとほっとされるとか。
ありがたいです。

 


UNICの向かいにILO駐日事務所があります。
長谷川さんにと思っていたのですが、

長谷川さんはこの3月で退官されておられました。
そういえば、そのお知らせをいただいていましたのに、

うっかりしていました。
長谷川さんならよく存じ上げているので、

ちょっとご挨拶にと思っていたのですが、
新任の駐日代表が就任されておられました。
UNICの日下部さんが繋いでくださり、ごあいさつに。
「失礼しました」とお詫びの言葉で申し訳なく、

すぐに退散しようと思いましたが、
上岡恵子駐日代表は、

「まあ、そうおっしゃらずにせっかくですからぜひ少しお話を」
とおっしゃって下さいました。
UN WOMENの取り組みや

堺市女性団体や堺の取り組みをお話しさせていただくと、
上岡さんは、とっても関心を示され感激してくださいました。
ジェンダー主流化アプローチが国連でも進められていることや、

人事監査システムが進められていて、

特に管理職がどのようなジェンダーの理解をもって、

所管の職場でジェンダー平等を推進しているかが、

人事評価の大きなポイントとなっていることを教えてくださいました。
私は、堺市の管理職研修に

上岡さんにお越しいただくのがいいと思いました。
学校の先生方にもいい研修になると思います。
さすがに国連経験30年のベテランでいらっしゃいます。
ジュネーブの国連本部にも10年以上いらっしゃったそうで、

ジュネーブの国連本部は世界の国連職員の人事を統括しています。
そのジュネーブ本部には、

ジェンダービューロー、つまり男女共同参画局みたいなものがあり、

そのビューローの局長の女性と上岡さんは懇意にしていらっしゃるそうで、

来月ジュネーブに行かれた際に、

今日の堺の私たちの活動や、堺市のことなどを

その局長に伝えてくださることになりました。
きっと彼女は感動するでしょう、とおっしゃって下さいました。

とてもやわらかな、お優しい雰囲気の中に、

時代を乗り越えてこられた芯の強さをかんじさせられる

上岡さんとの出会いは、私にとって、とてもありがたい出会いでした。
今度食事をご一緒に、とおっしゃっていただけて幸せです。


南ア大使館のナショナルデーをはさんで、

午後3時には池上清子さんがホテルまで

自転車で駆けつけてくださいました。
雨の中オレンジ色のレインコートで

自転車で東京を走り回られる池上さんは、

元国連人口基金の東京事務所長でいらっしゃり、

今は日本大学大学院の教授でいらっしゃいます。
三味線の名手でもあり、今まで私が国連関係のことでは、

一番お世話になっている方で、
いつもリュック一つで世界中を駆け巡り、

活発な行動をなさる尊敬すべき女性です。
先般、UN WOMENのご紹介をNHKの視点論点でしてくださった

あの池上清子さんです。
打ち合わせと同時に、

いろいろとこれからのUN WOMENについて、

国連の仕事の仕方というものを教えていただきました。

池上さんは言葉だけではなく、

きちんと行動によってご協力くださる方ですので、

本当に信頼できます。 

今はお母さまの介護で大変なので、

国連人口基金UNFPAの事務局長も勇退されたのですが、

それでも日大の教授として、

やはりジェンダーを若い人に教えていらっしゃるのです。


そのあとは、午後4時ごろからングバネ元大使と、

宮司名誉領事と3人で南ア総領事館の

堺市への誘致についての作戦会議でした。
「とにかく総領事館は南ア本国の外務省および大統領マターであるので、

ぜひみんなで堺市から南アへ来なさい」、ということでした。
さらに「典子には、ミッションがある。南アでの女性団体の組織化と

女性センターの建設運営と」と。

これはもう7年前から言われていることでしたが、

その仕事では少なくとも数か月は日本に戻れないので、

タイミングを計っているところです。
元三菱商事アフリカの社長であられ、

アフリカ滞在歴20年の宮司名誉領事は、

急いだ方がいいですよ、と。

一緒に考えていきましょう。
南アは今日本において、

中部や関西に重点を置こうとしていますから、

ということでした。

ングバネ元大使は、

「今回の来日の時に妻から典子に南アの女性たちの

ハンドメイドのビーズの作品を持っていくよう言われていたんだけど、

忘れてきてしまった。ごめんね。(笑)
今度妻と10月にまた来るから、

その時には忘れずに持ってくるからね」とおっしゃって下さり、

ぜひとも南アへの公式訪問の内容について早急に詰めてくれたら、

こちらから公式な招待をさせていただく、というところまでお話しできました。
ありがたいことです。

もちろん現職のペコ大使にもこの話はさせていただきました。
すでに堺市は南アとの交流は

もともと女性団体の平和フォーラムから始まった交流とともに、

堺の教育や、人権平和、また産業振興と経済活性化の視点から、

堺の発展のための政策として総領事館の誘致が位置づけられています。
そのミッションのために狭間副市長もご参加されたのです。

名残を惜しんで、次は外務省へ。

霞が関にある外務省は、

まず外の入り口で身分証明証。玄関でセキュリティーチェック。
人権人道課の職員の方がお迎えに来てくださいます。
阿部課長と河西事務官と面談。
UN WOMENへの予算の増額のお礼と、WEPsのご報告など、

また今年バチェレ事務局長が来日される場合には

くれぐれもよろしくお願いしますとお願いしてきました。


午後6時。樋口恵子先生のご招待です。ご指定の帝国ホテルに。
 

この日の午後樋口先生は文科省で

「国立婦人教育会館」「独立行政法人 女性学ジェンダー研究会館」の

問題についての審議会に参画されておられました。
そのお話や、昨年の3月11日、

与謝野 馨大臣との面会があの地震によって急きょかなわず、

仕方がないので原ひろ子教授などとともに歩いて、

帝国ホテルまで来られ、ここで一晩夜を明かすことになられたこと。
帝国ホテルは、代々ホテルの考え方でこんな時こそ

非難されてこられた方々を一人残らず受け入れることを

決めておられたようです。
ホテルは自家発電で暖房を最強にし、

限られた毛布しかなかったけれど、寒くなかったこと。

夜中に全員にスープや食べ物が配られたことなどを話されました。
さすがは日本を代表するホテルですね。
樋口先生はホテルオークラもお好きだったけれど、

あの日以来帝国ホテルにほれ込んだとおっしゃいました。
樋口先生との打ち合わせもたくさんありましたが、

ここなら私がごちそうできるからと、
私は野菜カレーをいただきました。絶品でした。
ドリアを注文され、

「いつもは残すけど今日は全部いただけたわ」とおっしゃる樋口先生と
亡き母が重なりました。

母が最期に外食したのは

大阪の中之島リーガロイヤルホテルでのドリアでした。

抗ガン治療で食べ物を受け付けなくなっていたのに

ぺろりと平らげるほど大好物だったのです。
樋口先生に亡くなった母のことなど話せませんので、

言えませんでしたが、

私は涙をこらえて野菜カレーをいただいていました。
樋口先生は来月4日からフィンランドにご出張とのこと。

赤松良子元文部大臣も、

ユニセフの関係で同じころフランスに行かれるとのこと。
お二人ともお元気で何よりです。
いろいろ考えさせられた会食の時間でした。

 

 


たった1日の東京出張も、積み重ねてきた人との出会い、

邂逅の宝によって、大きな道が拓けることを実感しています。
感謝して。

帰りの新幹線は、

後ろの座席のオッチャン達が、ビールの缶を開け、

豆やおかきをぼりぼりかじりながら大きな声で話しているのを、

いやだなと思いましたが、

品川くらいから京都あたりまで、自分の記憶がありません。
新大阪に近づいたとき後ろが静かだなと思ったら、爆睡中でした。