午後1時からリーガロイヤル堺、3階利休の間にて。
谷下一玄先生が主宰されておられる
「半夜俳句会」が100周年を迎えられました。
日本において100年間俳誌を出版し続けられている俳句会というのは、
ホトトギスと並んで半夜だけです。
そんな俳句会が堺を拠点に、この一世紀、
戦争を乗り越えて脈々と継承されてこられたことは堺の誇りであり、
日本の俳壇の誇りでもあります。
そうそうたる全国の俳句の主宰や同人が集まっておられました。
東京からも、角川学芸出版社の
初の女性編集長の鈴木さんも来られていました。
大正元年9月、大野翠峰師によりさかいに創立された半夜俳句会。
その後昭和50年には岸本如草師に継承され、
誌名が「夜明け」から「半夜」に改称。
その後、昭和56年に饗庭紀代子副主宰ご逝去、
57年に岸本如草主宰逝去。遺言により
半夜運営委員会が結成され、
藤本草四郎師を代表に集団指導体制がしかれる。
その後岸本如草師の三回忌に運営員会の発議で、
藤本草四郎師がの主宰、谷下一玄氏が副主宰、
ならびに半夜運営委員会会長とする体制になった。
これは半夜俳句会創立100周年の俳誌冒頭の、
谷下一元主宰のあいさつ文からの抜粋ですが、
昨日の100人を超えるご出席者の皆様のスピーチからも、
何度も歴代の主宰の方々のお名前があがりました。
谷下先生のごあいさつ、と素敵なお二人の演奏!
私は来賓あいさつ5人のとり。
トップは堺市文団連の細川会長。
ご挨拶の機会をいただきました!
なんとも文化的な、
そして堺という町の文化性や歴史性が際立つような
ご挨拶の数々と皆さんの雰囲気。素敵な会です。
さらには、音楽会の演奏もあり、
野田晴彦さんの笛と赤星ゆりさんのピアノというご夫妻の演奏も。
野田さんは、あのフランス文学者河盛好蔵さんのお孫さん。
堺ともゆかりの深い人です。
阪大の工学部出身で今は作曲や音楽監督などを務めておられ、
笛も、中国のパーウールや南米のサンポーニャ、
アイルランドのウィッスルや日本のリコーダーや篠笛など
いっぱい使われました。
大野翠峰師の教え。
俳句は大きな愛、普遍性のある愛を追及すること。
「われを究めてゆくところに。われの俳句は本質的にみがかれてゆく」