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コロナ禍と修羅界 6月19日

月刊「第三文明」 | 雑誌 | 第三文明社

 

SGI創価学会インターナショナルが発行している第三文明という
雑誌を読んでいると、今の堺市議会で似たようなことが起こって
いますので、なるほどなーと妙に腑におちました。

自分にとって、佐藤優さんという人の言論は、その著書においては、
部分的に言葉の当てはめが秀逸ですが、
総体としては、いつも疑問が残っていました。

 

今回は佐藤さんのことは別として、ここに紹介されている
池田大作会長の思想が明確です。

「法華経の智慧」をめぐる語らいの連載で「十界互具」の中の
修羅界について。

 

要約すると、

修羅とは『慢』の生命。他人と自分とを比べて、
自分が優れ他人が劣っていると思い込む煩悩。

怒りにまかせて他者を攻撃し、自分をよく見せることにエネルギーを
注ぎ人をたぶらかす。「すばらしい政治家」という偽りの自己イメージを
守るために汲々(きゅうきゅう)としており、
その本質はなかなか見抜けなかった。世間には幻想に騙されていた人も
多かった。

しかし、その心はいつもおびえている。自分の『本当の姿』を暴かれることを
恐れている。真実の卑小な自分から目をそらして、幻想の自分にすがる。

自分より遥かに優れた人に接すると自分の本当の姿が映し出されてしまう。その姿を否定しようとして、相手を自分の境涯にまで引きずり降ろそうと
謀略を巡らす…そういう構図が繰り返されてきた、とあります。

 

仏教をはじめ、様々な世界宗教の人間観から、学ぶことは多々あります。

信仰とは別にしても、池田大作会長の
的確な人間観と、例えば修羅になり下がった人間の邪悪には、
それこそ阿修羅の如く闘わねばならないと説いておられます。

コロナ禍を乗り越えるための智慧や論点が修羅界の生命から
見出せますね。