いよいよ確定しました。
市教委と竹山市長の決断から、
堺市としての総意によるものです。
堺市という自治体が、
失った3人の少女の尊い生命を忘れることなく、
彼女らにお詫びをし続けながら、これからも追悼し、
ある意味では彼女らとともに生き続ける勇気を持った
ということだと私は、思います。
そういう、人としての誠意と慈愛が根底にある自治体は、
必ず発展するし、市民が幸せになると確信しています。
また当然そうあるべきなのです。
人の道の本質から離れた行政など、全く意味がない。
市民が不幸になってしまいます。
学校給食が原因で、こんなことになり、
この15年間のご遺族の思いを考えると、
市民の立場で追悼と誓いの集いを続けているだけの自分が、
情けなかったです。
自分の子どもが、こんなことになったらと思うと、
胸をかきむしられるような思いでした。
Tさんのお宅に伺った時に見た、
あの小さなピンクのサテン地のバレエのトゥシューズは、
わたしには一生忘れられない。
Hさん宅で見かけたあの小さな白い骨壺も忘れられません。
彼女らが空の上から、
「おばちゃん、なんで私たちは死んでしまったの?」と
語りかけてくるのです。
他人事ではないのです。
7月12日は、O-157食中毒の発生、発症した日です。
平成8年7月12日だったのです。