母が化粧台に向かうときに、
必ず肩にかけていた化粧ケープ。
上質なコットンの白地に、
うすいピンクのハートがちりばめられている。
外側の縁はシンプルなフリルになっている。
きれいに洗濯をしてあるものが出てきた。
思わず顔にあててみる。
母の香りがしみついているような気がした。
母は晩年にはこのケープを使っていなかったけれども、
子ども心に強い印象で、
この布地の質感や色合い、
風合いが記憶の中に存在し続けてきた。
三面鏡に映る母の身支度のしぐさがよみがえってくる。
亡くなって12年もたつというのに、
母が掃除をする私の横にいる。
蝉が鳴いている。
原爆の8月を母は悲しみ、怒っていた。
戦争によってどれほど多くの人々が尊い生命を奪われ、
またその家族の人生を豹変させてしまったか、と。
取り戻せない、と怒っていた。
お国が何を償えるか、と怒っていた。
そして母は三面鏡に向かい、
堺市議会議員として、
女性団体の委員長としてのいわば平和の戦士の身支度に、
今から思えば、
この可憐な化粧ケープで闘志を整えていたのだ。
母の生活には哲学と文化があった。
白洲正子さんどころではなかった。
人生における生き方の美学、
そろそろ私も見習わねば。