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大島渚監督 逝く 〜監督との共演の思い出〜 1月16日

映画監督の大島渚さんの訃報が昨夜のニュースで報道されました。

18年前に朝日テレビの「朝まで生テレビ」で
共演させていただいた時のことを思いだしました。
テーマは「表現の自由と差別」について。

ちょうど筒井康隆さんの絶筆宣言が話題になっていた時。
そして私はミスコンの反対運動や
ちびくろサンボの問題に取り組んでいた時。
他の出演論客は、作家の野坂昭如さん、評論家の西部邁さん、
 漫画家の小林よしのりさん、筒井康隆さん、
日本てんかん協会の方、部落解放同盟の方、
田中角栄さんのロッキード事件の弁護をしていたという女性、
プロレスラーの方などでした。

あの時はちょうど今高3の娘がおなかの中にいました。
4か月でした。
夕方に朝日放送のとなりのホテルに入り、
出番を待ちました。
本当に深夜から朝までの出演です。

局に入ると楽屋は、
とても狭いところでみんな一緒。
大島さんは着物をきておられ、
みんなでわいわいと話をされていました。
一番最後に筒井さんが来られて、
「ぼくの楽屋はどこ?」ときかれると、
大島さんが「みんなここだよ」とおっしゃいました。

あきらかにご不満そうだった筒井さんの、付き人の男性が、
筒井さんが煙草を取り出すとぱっとひざまずいて
煙草に火をつける様子は、
極道映画のシーンを彷彿とさせました。

はじめてのテレビトーク番組の出演。
全く打ち合わせもありません。
でも最初から田原総一郎さんや大島渚監督や、
野坂昭如さんは非常に私側のスタンスに立ってくださっており、
話しやすかったことを思いだします。

大島監督も野坂さんも
「ミスコンなんて、あんなのだめだ。ドッグレースの方がましだよ」と明言されました。

「表現の自由と差別とは違う」と。
愛のコリーダで勝訴した大島さんの言葉だから、
よけいに重いですね。

西部さんは、当時週刊誌などで「ミスコンに反対するならイスラムへ行け」などというタイトルでタカ派の自説を展開しておられましたが、
トークの合間になぜかしら、なんどもわたしに笑顔でウィンクしてこられました。

午前4時に収録が終わると、
局の地下の食堂で打ち上げ。

いい経験をさせていただきました。
今ならもっと闘えますが。

あの時の大島さんは分厚いメガネの奥から、
本当にやさしい瞳で私を応援してくださっていました。
それ以来テレビ出演の依頼もたくさんありましたが、
ミスコンに関しては友人である東京在住の福島瑞穂さんや、
姜 尚中さんにかわりに出演をお願いしました。

以来、福島さんは国会に出馬、
今では社民党党首。
姜尚中さんもテレビや著作で、
日本のオピニオンリーダーになられました。

大島監督のやさしい笑顔に感謝して、
心からのご冥福をお祈りします。