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今、晶子を思う。

女性の力の及ぶところ、かならず平和の光あらん

今、私の心の中にこだまし続けている晶子の言葉。
3月11日の大災害の日から、ずっとだ。
もちろんこのような災害に女も男もない。
しかし思うのだ。

65年前のあの戦争の時、

日本の女たちは、お国のために、

愛する婚約者や夫や息子たちを日の丸ふって送りだした。
そして、銃後の母となり、終戦後は岸壁の母となった。

いったい
なんのためだった?

戦前の多くの女は、女であるからと教育を受けられなかった。
お国を信じていた。

今の日本の状況はどうなのか。

二度と女たちは、かつての過ちを犯してはならない。

今、戦争ではないけれど、原発報道に関しては戦時下に似ている。

本当のことを知ることができない。
だれの責任において命を奪われるのか、も当然のごとくわからない。
たった1200億円で原発事故の被害が補償できるはずもない。
何兆もの資本金を持ちながら。


安全なところで、もごもごと記者会見をしている政府代表と電力会社の代表。
高給取りの人間が、逃げの姿勢で、

それほど給料ももらっていないであろう、地元の社員が、

「みんなのためだから原発を直したい・・しかし家族を思うと・・」と苦悩している。

おかしくないか?

野菜や水があかん、牛乳もあかん魚や昆布もアカン、なんて困る。
見えない放射能やプルトニウムに怯えたり、諦める生活なんてイヤなこった。
子どもやお年寄りを抱える私たちはそんな生活はまっぴらごめん。

そんな国民の本心をしっかりと受け止めてほしい。
国民の命を守り、健康を保障する義務がある。

晶子の歌が、何を意味するのか。おそらく想像もつかないだろう。
人間の命の重さは、年齢や給料には関係がない。
ましてや社会的立場にも。

しかし言えるのは「長」の付く人間には誰よりも責任があるということ。
こんなときのために「長」があるということじゃないのか?

5月から電気料金を上げる?
原油価格の高騰で? 
みんな義援金や救援物資で協力してるよ。
無駄なテレビコマーシャルとかやめたらどうかしら。
と言いたくもなる。

これから先はやめておこう。
今、批判や反省してる場合じゃないから。

ただ、女の直感が、生命を生み出す性(さが)が、晶子の言葉を繰り返す。
警鐘のように鳴りつづける。