昨日、高島屋の食品売り場で、上品な女性に声をかけられました。 80歳前後とお見受けしました。 うつくしく「梳き」の入った白髪が形よくセットされ、 きちんとした薄化粧と服装。なにより姿勢がぴんと張り・・。 「典子先生、これ。これを先生に差し上げようと思っていました。」 私は、このような人生の先輩に「先生」と呼ばれることへの いつもの違和感を覚えながら 見ると半分に折られた一枚の紙。 広げると二つの詩が載っていました。 「これ、館長さん教養講座のときにいただいた資料です。」 確かに。A4サイズの紙には、 堺 自由の泉大学 男女共同参画市民啓発講座 とある。 日付は5月31日。 ああ、あのゴーヤカーテンの話の日の資料なんだ、 とわかりました。
|
行為の意味
――――あなたの<こころ>はどんな形ですか と ひとに聞かれても答えようがない 自分にも他人にも<こころ>は見えない けれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに<こころ>はだれにも見えない けれど<こころづかい>は見えるのだ それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の<思い>は見えない けれど<思いやり>はだれにでも見える それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり やさしい思いが やさしい行為になるとき <心>も<思い>も 初めて美しく生きる ――――それは 人が人として生きることだ
|
「私は、あの日、女性センターへ行って、 この資料をもらって、お話をきいて感動しました。」
資料にはもう一つ詩が載せられていた。
|
若葉の道
あなたのひとみに若葉がゆれる わたしのひとみにも若葉がそよぐ
どんなに古い木でも 若葉だけは新しいみどり 新しいみどりにつつまれた木は 新樹
小鳥たちの声さえ新しく こんなにすばらしい季節があるのだ と 生きるものすべての心がさけぶ
この道をわすれてはいなかったろうか あくせくしすぎてはいなかったろうか 夢がちぢんではいなかったろうか
あなたのいのちが 伸びる若葉になる わたしのいのちも 歌う若葉になる
|
騒がしい食品売り場の中で、 たたずむ私たちの間の空気が止まっているのを感じながら、 じっと詩を読んでいると 「私ね、昔あなたのお母様と一緒に婦人会館を建てる運動したんです。」 「えっ?」 「あんなに大勢の方々が来られてて、こんなにいいお話が聞けて。 運動をしたことをあらためて、誇りに思えました。」 「はい、ほんとにありがとうございました。」 「長い間、海外に住むことになって、あちらで夫がなくなり、 ひとりぼっちなので日本に戻ってきたんです」 「そうなんですか・・・」 「開講式もすごかったわね。 樋口恵子先生のような立派な方が学長で、 あの樋口さんと堂々と渡り合うあなたの姿に、 彩子さんが生きておられたらどんなに喜ばれたことか。 きっと天国で喜ばれていると思いますよ。 私でもこんなに嬉しいんですから。」
不思議な気持ちになりました。 この女性はどこから現れたんだろうと。 どうして、ここでこの紙をわたしに?
「では、またお会いできるわね。ごきげんよう」とにこやかな笑顔で、 手をわたしの方にそっと押し当てて、 さよならとほんの少し手を左右に振って去って行かれました。
それこそ この行為の意味を昨夜は一晩中、 雨の音を聞きながらかんがえていました。 |