昨日の感動的な「堺 自由の泉大学」の修了式のことは書きましたが、
翌日の今日女性センターをのぞいてみると
何と大勢のボランティアの方々が、
来年度の「堺 自由の泉大学」のパンフレットを折る作業をされています。
昨日の修了式の準備も本番も後片付けも、
そして翌日の今日、もう来年度に向けての作業が行われています。
昨日の熱気や、この大学の中に確かに息づく太い人権の柱、
人のぬくもり、愛情と喜びにあふれた雰囲気の素晴らしさが
こういうところにあるんだな、すごいなと思いました。
昔からこの大学は、市民協働、
アウトソーシングの走り的運営方法でしたが、さすがですね。
こんな風に上手に工夫して、みんなで力を合わせなければ、
こんな予算でやれるはずがないのも道理ですね。
堺市は、ほかにもたくさんの「○○大学」と名のつく事業がありますが、
他の大学はどんな工夫をしているのか、知りたいなと思うようになりました。
今年2月に「堺 自由の泉大学」の有識者会議があり、
私も委員の一人として参画させていただきましたが、
他の有識者の先生方から意見が出ていましたね。
「プロポーザル方式で委託先を決めるのに、
『毎年』プロポーザルというのはおかしい。」
「教育事業は大阪市などでは4年のスパン。その見直しを図るべき、
またこれだけの事業をこんな予算でというのはひどすぎる」などの
意見が出ていました。
昨年からプロポーザル、
また受益者負担方式になっても3000人以上の市民が参画し、
年間16万人以上の参加者がある大学、と聞いています。
教育の原点がここにあるのではないかなと思います。
自らが主体的に学びを求め、
学びのために自らの力を出し合い、
その学びの成果を地域社会に活かす。
これこそが教育のあるべき姿ではないでしょうか。
教育基本法の第1条(教育の目的) にはこうあります。
「第一条 教育は、人格の完成を目指し、
平和で民主的な国家及び社会の形成者として
必要な資質を備えた心身ともに健康な
国民の育成を期して行われなければならない。 」
この「教育の目的」は学校教育に限られたものではなく、
家庭教育、社会教育などすべての教育において目的とされているのです。
人格の完成にゴールはないのだと思います。
学びつづけることのできる教育の場を大切にしていくことこそが、
一人ひとりの人格を育て、未来を切りひらくことにつながるのです。
「堺 自由の泉大学」に通う市民のみなさんの姿から、
教育は学校教育だけのものではないということを実感しました。
教育に携わる教育委員会のみなさんは、
市民の学習意欲や市民の姿をご覧になってみてはいかがですか。
市民の学ぶ姿勢に学ぶ・・・こういう姿勢があれば、
最近わたしが関わった数々の学校での事象も
違う形になっていたのではないかと思っています。