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堺から、新しい市民運動の幕開け 9月12日

昨日11日は「堺はひとつ市民の会」の決起集会。

今日は「住みよい堺市をつくる会」の市民大集合。

 

どちらも堺市民会館大ホールが

あふれる人でいっぱいの盛況でした。

言えることは、堺の市長選をきっかけに、

従来の政党主導型の方法論が変わろうとしているということです。

「市民」の中には政党支持者もいれば、無党派層の人もいます。

「利害」や「利権」のために政党につながる人もいる。

 

けれど、これだけの経済不況に世界中が追い込まれ、

日本も経済格差が顕著になり、

湯浅誠さんらの反貧困ネットワークがつくられるまでになると、

バブル期のような「おいしい話」などはほとんどなく、

すでに大企業に独占されている利権配分のおこぼれが

中小零細企業に小分けされるという構図が出来上がっています。

よって政党離れが進み、政治への失望感が高まり、

そこに新しい勢力が生まれてくる。

いったんはその新勢力に期待した人々が、

 またまた裏切られ失望し、

 また既成政党に望みをかける。

けれどそれもしっくりこず、

またもとに戻ってしまうのではないかという不安を持ちつつ

情勢を見守っている状況が今なのではないでしょうか。

 

もともと私は堺市議会の会派としてはソレイユ堺に所属し、

政党としていえば無所属の議員です。

 

無所属だから、

どこの政党の応援でもできる、

ということではありません。

常に、私の頭にあるのは

「堺市」や「堺市民の皆様」について、

どこの政党であれ、

どの候補者が、

本気で堺のことを考えておられるか、

というのが基本です。

衆議院や参議院、

 あるいは府会議員、市議会の補選にせよ、

どなたを応援するかはそれが基本です。

 

今回の堺の市長選は、

堺だけの問題だけではなく

今後の日本の民主主義の方向性を決めていく

重要な意味を持っていると思います。

 

単なる新勢力と既成政党の戦いではなく、

新勢力と市民との戦いでもない。

まさに、「市民」が果たすべき役割が問われている戦い

であると私は考えています。

そこに、自民党、民主党、共産党、

あるいは無所属というような線引きはないのです。

 

ましてや今回に限って言えば、

候補者がどうのこうのというのは、

失礼かもしれませんが二の次の問題です。

ただしこれは候補者の責任ではありません。

情勢が現実にそうなっているということです。

 

新勢力の候補者は、

すでに大阪府、大阪市に見られるように、

結局は一人の代表の言いなりになるだけで、

独自の信念をもって堺市民のためになにかをやるという

市長にはならないのは明白ですし、

現職の候補者に対する市民の声も厳しいものがありつつも、

この4年間に実施された政策と

堺を売り渡さなかったことについては

評価されているという状況です。

 

本来は、

候補者の考え方や提案する「政策」によって

選ばれるべきものですが、

ポピュリズムの表層的なイメージ合戦で、

嘘でも何でも「言うたもん勝ち」みたいな風潮が台頭するのは、

健全な「市民社会」が壊されることにつながりかねません。

 

だからこそ、

ひとりひとりの市民が果たすべき役割はおおきいのです、

 

すでに国際社会では、

地球温暖化や大災害などの環境問題や人口問題、

貧困、飢餓、紛争、平和、エネルギー問題など、

すべての課題の基底にあるのは「人権」ですが、

いわゆる地球公共財としての環境、平和、人権を

公正に確保するためには、

従来の国家主義にたよっていても、

一国では何ら解決ができないのです。

要は国家を超えて、

地球市民が協力していくしか解決方法がない。

 

どの国も、政権を持つ政党や政府と、

その国の地域における市民や団体等との

意識や考え方のズレが大きくなってきています。

それぞれの国の現状打破や解決を政府には任せておけない、

という各国民が運動を始めています。

そこにあるのは単なる勢力争いではないということに

気がつかなければなりません。

 

政党間の勢力争いなどは、不要です。

政策論争をやらないと。

東日本大震災にしても、

福島の原発問題にしても

すべての政党が一致団結しても解決が難しい中、

国会はどうだったか、と考えれば明白です。

 

私は一人の堺市民として、

また市会議員として、

また地域で様々な市民団体と取り組みをしている人間として、

新しい市民運動に1歩を踏み出しました。

 

それが今日の市民大集合であったことをご報告しておきます。