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田内千鶴子生誕100周年記念 木浦市長主催歓迎晩餐会 10月30日

朝、家を午前6時半に出て、

友人の夫さんの車で関空に送っていただき、

午前9時半の飛行機で一路ソウルへ。

仁川国際空港からタクシーで、光明駅に行き、

韓国の新幹線KXTに乗り約3時間10分で

木浦市についたのが午後4時40分。

午後5時から新安ビーチホテルにて木浦市長主催の歓迎晩餐会。

 

大会冊子

 

大会冊子(竹山市長メッセージ)

※画像をクリックすると大きな画像が開きます。


高知県の尾崎正直知事や高知市長も

よさこい踊りのメンバーと来られています。

日本から約500人が参加しているそうです。

 

大会冊子


歓迎晩餐会は会場いっぱいの人。

にぎやかな高知よさこい踊りからはじまり、

韓国伝統舞踊の優雅な雰囲気で始まりました。

引き続き来賓紹介。

 

 

市長主催歓迎晩餐会


木浦市長の歓迎のごあいさつも日本語で始まりました。

次に、全羅南道知事である、パク・ジュンヨン知事が

坂本竜馬のことをお話になられるご挨拶。

 

木浦市長のごあいさつ パク・ジュンヨン全羅南道知事

 

田内千鶴子さんという素晴らしい日本人女性のことを

たたえるためにこれほどの人々が集まっています。

 

市長主催歓迎晩餐会


そして高知県の尾崎知事。お若くてかっこいいなあ。

木浦市と文化交流、経済交流をすすめておられるそうです。

今回も田内千鶴子さんの生まれ故郷の知事として

ここまでお越しになられています。

 

本来なら次に挨拶をされるのは、竹山堺市長のはずですが、

竹山市長はインドネシアに公務出張されており、

残念ながら訪韓することができませんでした。

高知県や高知市は70人の大グループで参加。

来月には高知に多くの韓国の方々を招いて

単なる生誕記念ではなく、

この人道支援の深い関係を

高知の子どもたちの教育に生かしていきたい、と。

すばらしい行政レベルの国際交流ですね。

高知県議会の武石議長もお越しでした。

お話をしていてわかったのは、

なんと私の夫の後輩でした。

 

市長主催歓迎晩餐会

 

さて私は堺市議会の正副議長からの親書を預かっておりました。

壇上で木浦市長にお渡ししました。

ここで随分堺市のことがきちんと伝えられ

本当によかったと思いました。

このよう親書を渡す場がなければ、

田内さんが住んで活躍していらっしゃるその堺市から

誰も来ていないということになってしまうと、

韓国木浦市からのご招待に対し、

礼を失してしまうことになるからです。



市長主催歓迎晩餐会

私の名刺には、

ハングルで書いた肩書と名前をシールで貼っていきました。

ハングルが書かれていることを、

韓国のみなさんは本当に喜んでくださいました。

ハングルのおかげで、

私は木浦市長や全羅南道の知事にも

何度も名前を呼んでいただきました。

「堺市のやまぐちのりこ、さん」

「堺市のやまぐちのりこ、議員」と。

両国の人権や平和を歴史を踏まえたうえで、

お互いの心を通わせようという思いが伝わった瞬間でした。


壇上の方々のご挨拶は、

どなたのごあいさつも、胸にしみるものがありました。

書いたものを読まない。

きちんと会場の多くの人々に顔を向けられたまま、

しっかりとお話しなさるひとつひとつの言葉に重みがありました。


政治がぶれても私たちの絆はゆるがないと。


愛と平和の祭典(前夜祭) 


乾杯の後はすぐに外交です。

「堺、堺」と名刺や堺市のパンフレットや、

堺市の文鎮のお土産や、

女性団体やUN WOMENの資料やグッズを手に

みなさんにご挨拶を申しあげました。

 

 

 

木浦共生園


これを人権平和外交と言わずして何と言いましょうか。

さまざまな親善大使を決めても、

これほど性根の入った親善交流をやれるでしょうか。


本来なら堺市の職員を随行に、

みんな有給で公費の出張旅費までついて、

随行が荷物をもって、行くんでしょうけれど。


高知県や高知市のご一行を見ていると、

すごいなと思いましたね。

高知の県民、市民のために、

未来の子どもたちのためにしっかりと知事や市長が

自ら外交を行っています。

 

 

生誕100周年記念式及ひ?国連孤児の日推進大会


親善交流の域を超えて、もっと目的は明確です。


田内千鶴子さんという日本女性のこの崇高な精神を、

子どもたちに伝える。

また韓国の木浦市の方々が、

これほどまでに田内千鶴子さんの偉業をたたえ、

歴史を乗り越え、

今の日本の私たちと友好を深めようとしてくださっている。

そのことが大事なんだ、それを大切にしたい、

というのが高知県知事のご挨拶でした。

涙が出ました。

まだ知事は45歳とおっしゃいましたが、

 

素晴らしい方です。

 

 

生誕100周年記念式及ひ?国連孤児の日推進大会


この事業を単なる個人の

「生誕祭」としてしか受け止めるのではなく、

きちんと行政マターとして扱っているのです。


実際には今回の大イベントは、

田内千鶴子さんの生誕100周年を節目に、

「国連孤児の日」を制定して

世界から孤児をなくそうという主旨がメインです。

田内千鶴子さんの息子さんの田内基さんは堺市の南区で

「故郷の家」という介護施設を運営されており、

この介護施設には戦後日本で、

苦労されてきた在日の高齢者の方々を引き取られ、

まさに、田内千鶴子さんの精神を受け継がれた活動を

続けておられるのです。


その功労が認められ田内基さんは

第2回自由都市堺国際平和貢献賞を受賞されています。

今年第3回のアウンサンスーチーさんより先に

受賞されているのです。


 

戦争と女性の人権博物館


韓国におかれましても、

いまだに田内さん一族が「共生園」を運営され続けており、

韓国において日本人である田内さんたちの活動のおかげで、

私たちも大切に「おもてなし」を受けました。


田内千鶴子さんは、

木浦高等学校を卒業した後木浦共生園で教師として在職し、

その後木浦共生園を運営していた尹致浩さんと結婚し、

二人でこの孤児院の運営にあたりました。

千鶴子さんは朝鮮戦争で夫が行方不明になってからも

共生園を守り続け、

1968年に56歳で亡くなるまでに

3000名余りの韓国孤児を育て上げました。

その民族を越えた人間愛は「韓国孤児の母」と敬われ、

木浦市は初の市民葬で千鶴子さんの死を悼んだのです。

 

 

戦争と女性の人権博物館

 

この千鶴子さんが生まれた日が10月31日、

亡くなった日も10月31日、

そして今回私が木浦共生園のその場所に立った日が

10月31日でした。

直接お目にかかったわけでもないのに、

千鶴子さんとお話しているような

そんな温かな気持ちがわきあがってきました。

そして、国を越え、

ただひたすらに子どもたちを思い人を思うこの崇高な心を、

ここにいるみんなで受け継いでいかなくてはならないと思いました。


共生園(ハングル語)

※画像をクリックすると「共生園」パンフレットPDFがダウンロードできます。


帰国して、

NHKでこの当日の様子が放映されているのを見ました。

今回の田内千鶴子生誕100年祭には韓国からも日本からも

たくさんのメディアがやってきて取材をしていました。

それほどまでに大きなイベントであり、

 重みのあるイベントでした。

日韓の関係がいろいろ取りざたされる今だからこそ

より大きな意味のあるイベントであったと思います。

このようなイベントを成し遂げられた田内基さん文枝さん

ご夫妻にも本当に心からの感謝を申し上げます。

田内基さん文枝さんご夫妻が堺に住まれ

堺市で故郷の家を運営されていることも

同じ堺市民として誇りに思います。

 

共生園(日本語)

※画像をクリックすると「共生園」パンフレットPDFがダウンロードできます。


堺市も「おもてなし」を売りにしていますが、

ほんとうに「おもてなし」になっているでしょうか。

「行政マター」って役人同士がやり取りすることだけが

行政マターでしょうか。

相手が個人であれ、

どういう立場の人であっても行政として、

その人をどうもてなすかが市の発展や、

市民への還元にどう役立つかということが

判断基準にならなければ、

本当の「おもてなし」にはならないと、

私は思います。

 


それにしても木浦市長主催の歓迎晩餐会、

素晴らしいおもてなしでした。

最後の最後まで全羅南道の知事が、

会場の参加者のところまで行って握手をし、

「今日は来てくださってありがとう」

と声をかけられていたのが印象的でした

すべての政策の基本は「人権」であることを、

改めて確認できた晩餐会でした。