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父の山 8月10日

夫の実家は四万十川の上流です。

美しい四万十川は、

山また山の狭間を滔々と流れています。

 

田舎の田んぼや畑はご先祖代々守られてきたもので、

農地改革の後、それでも守られた田畑と山々。

 

病気の再発で、

自らの余命をはかる義父は、

人の息子たちと、その孫に、

自分の山の大きな桧や杉の木を見せたいと、

里帰りの前から「長靴を持ってこい」とのこと。

 

でも義父が連れて行きたかったのは、

本来、夫とその息子である、

つまり孫は孫でも男の子だけ、

のつもりだったらしい。

夫は、「そんなもん、娘らがつぐかもしれん」と、

私と娘たちも連れだって。

 

おそらく「ジェンダーやん」と言いたげな

私の心中を察して先手を打った。

 

防虫ネットをかぶって山に入る。

手入れの行き届かない山は、足元も行く手も阻まれる。

 

義父と夫が、鎌をもち、かき分けていく。

義父が夫に「のこぎりは持ってきたか」ときく。

「取りに帰ってくるわ」と夫。

 

山も3分の1ほど入ったところで、

夫が引き返した。

 

義父の自慢の大木を見物に行くつもりだったはずが、

何と夫はこの暑い中、

枝落としや椿の木を切ることなどを命じられ、

いよいよ大木にはたどり着けそうもない女子チームは

 引き返すことにした。

 

この暑いのに、

こんな整備されていない山の急斜面を

鎌や鉈を持ったまま歩けない。

危険だ、と判断した。

息子に聞くと

「おじいちゃんがせっかくいうてくれてるから」と

渋々でもついていくと。

夫も、普段一緒に暮らしていない父のいうことを、

聞いてやろうと嫌な顔もせず、登って行った。

 

娘二人と引き返す途中、

真っ黒なトンボが、

山の出口まで道案内をしてくれた。

りっぱなクロアゲハにも出会った。

 

地面の道はない。

小道すらない山。

 

3人が返ってきたのは2時間後くらいだろうか。

 

夫と息子は汗みどろで、

やや熱中症気味だった。

義父は元気で、たいしたもの。

86歳の病体とは思えない。

 

帰宅して台所で、

なにやら手書きの地図を引っ張り出してきた。

山の地図だ。

自分で書いている。

その地図で山の境界線を夫に説明している。

義父は文章でもなんでも、

日記なども毎日ぎっちり書いている。

戦争で兄を失った義父は、

仕方なく農業を継いだという。

どちらかと言えば、学究肌だ。

 

私にはテレビを見ている義父、

何かを書いている義父、

囲碁をしている義父、

食事をしている義父の姿しか見えない。

ああ、つい最近までハウスの上を闊歩したり、

畑仕事をしている父の姿も覚えている。

 

「特段、長生きをしたいとも思わんが、

さりとて死にたくはないと思う。

人間はいよいよ勝手なもんじゃな」

 

と耳の遠くなった義父が三度ほど繰り返す。

 

近所に長男が居り、

三男が家業を継いでくれている。

次男坊の夫は、私の父を入浴させてくれている。

「親父の背中も流してやりたい」と言っていた。

 

田舎の人々は、

数少ない人間関係の中で生きている。

それでも、うまくいったり、いかなかったり。

不思議なものだ。

 

ただただ、

ご先祖の代守りと墓守りが跡継ぎの大仕事。

誰が後を継ぐのか、

先行きの見えない時代の中で、

それでも義父は一生懸命、

伝えるべきことを伝えている。

日本一暑かった四万十の小高い山にある一族の墓地にお参り。

義父の代で、立派になった。

当然これを守ってほしいと思うだろう。

 

背中に照りつける日差しの中で、

子どもたちと墓掃除をし、水を捧げ、花を入れ替える。

そして手を合わせ眼をとじる。

「よう来てくれたな」と会ったこともない

ご先祖の思いがわかるような気がして、

来てよかったなと思う。

 

今を生きている自分たちが、

なにものなのかを教えてくれる場所。

 

高知の両親の健康を願い、

夫の弟夫婦に両親のお世話を任せていることをお詫びし、

帰路に就いた。

 

父の山は夕暮れに、

夏の異常な熱気を吸い取り、

うすい三日月を頂いている。