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男女共同参画センター・堺自由の泉大学物語 12月22日

昨日、一日中あちらこちらと走っている隙間に
女性団体の事務局に立ち寄っていると、
一人の女性に偶然お声をかけられました。

 

 

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志賀伸子さん。...
志賀さんから、一冊の絵本とお手紙を頂戴しました。
「長いおるすばん」(文芸社 2019)。

志賀伸子さんが書かれた絵本。絵は石黒しろうさんです。

志賀伸子さんは、2011年の東日本大震災で福島から堺市に
避難して来られました。
別に堺市に親戚がおられるわけでもなく、あの時は、
全国の自治体がそれぞれ、市営住宅や生活用品などを用意して
避難者の受け入れ体制を整えました。

 

志賀伸子さんは、たまたま堺市に来られたのです。
まったく知らない所へ。

被災後は途方に暮れて、うつ状態になられていたとのこと。
堺の町を歩いておられたとき、今の男女共同参画センターの前を通りかかり、堺自由の泉大学の受講生募集のポスターを見つけられました。


もともと教職の志賀伸子さんは、堺自由の泉大学の日本画講座に
通われるようになりました。

その後、堺市女性団体協議会の存在を知り、2012年に
女性創作展に出品され、女性団体委員長賞を受賞され、
2016年には堺市長賞を受賞されました。

そんなことが、志賀伸子さんの背中を押して、
人生の新たな希望が生まれたと。

そしてこの絵本が書かれました。

 

綴られたお手紙には、福島への帰還は許可されているけれど、
実際現地は、インフラ整備がなされておらず、
戻っても生活はできないと書かれています。

昨夜、この絵本を読ませていただきました。

なんだか、もっともっと深い福島を後にした人たちの見えない思いに
衝撃を受けました。

 

堺市立男女共同参画センターには、もう一つ福島から避難されて
来たご家族との物語があります。

センターの滝口館長や堺市女性団体のメンバーが、サポートしてきました。

震災は多くの人生を狂わせてしまいました。

 

未だ震災は続いています。

魂の込められた公的施設には、人々が集い、
脈々とそれぞれの人生が絡み合います。
優しさが、そよ風のように流れています。

単なる事務事業にとどまらないのです。

なぜなら、一人ひとりの思いと生がそこにあるからです。

来月には80歳を迎えられる志賀伸子さんの堺での一日一日は、
心が故郷の福島にあり続ける日々です。

志賀伸子さんの絵本を読ませていただいて
よくわかりました。