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男女平等憲法の母、ベアテさん逝く 1月6日

昨年末の30日。

日本国憲法第24条、男女平等条項の創案者であった

ベアテ・シロタ・ゴードンさんがご逝去されました。

 


2008年の12月には、

ベアテさんを堺市にお招きすることができました。

堺市が国際女性フォーラムとして

市民会館の大ホールでシンポジウムを開催され、

夜にはベアテさんを囲む懇親会が行われました。

このフォーラムには全国からベアテさんのファンが集まり、

「ベアテの贈り物」という映画を製作された

藤原智子監督もご出席されました。


2日間の堺市のご滞在でしたがずっとご一緒させていただき、

 光栄でした。

市役所本館のロビーを腕を組んで歩いてくださったことも、

今となっては懐かしい思い出です。


かつて戦前の日本に住み、

戦中はアメリカの大学に通い、

戦後マッカーサーと共に日本に来られ

憲法の草案に当たられました。

美しく優秀なベアテさんが、

幼いころご自身が見てきた、

日本における女性たちの扱われ方。

それがあまりにもひどく、

日本に男女平等の憲法が必要だと思われたそうです。


ベアテさんの創案した条文は実はもっと長かったけれど、

日米両国の男性たちに思いきり削られたという

お話も聞きました。


ベアテさんは戦後のニューヨークで、

棟方志功などの芸術家を支援しながら、

日本人協会の立ち上げに大きな貢献も果たされました。


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2008年に堺にお越しいただくために、

年越しのオファーをあきらめずに行いました。

帰りに関西空港までお見送りをしたとき、

ベアテさんが懇親会の時に

みなさんからもらわれた赤い薔薇の花を、

1本1本丁寧に新聞紙にくるみ、

女性団体のスタッフや堺市の職員さんに贈られました。


空港で昼食をご一緒したとき、

あなたにメッセージを書きたい、

とおっしゃって下さり、

私の宝物ノートの1ページ目に

 メッセージとサインをいただきました。


じつにさらさらと笑顔で書いてくださいました。

内容を見ると涙が出ました。


ベアテさんはこの国においても

世界中どこの国においても、

女性解放運動がどんなに困難な険しいものであるかを

よくご存じなのです。


だからこれほどまでに、

励ましのメッセージを書いてくださいました。

優しい人です。

年末年始、私の心が晴れなかったのも無理はありません。

願わくばもう一度お会いしたかったです。


憲法改正が声高に言われるいま。

私はベアテさんのご遺志を引き継ぎ、

9条と24条を守ります。

 

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ベアテさん、ありがとうございました。

どうか安らかにお眠り下さい。

また、私たちを見守ってください。


黙祷