早朝からダイニングで朝の用事をバタバタしていました。
テレビのコマーシャルで、
嵐山の松尾にマンションができたというCMが流れました。
えぇ?
嵐山の手前、桂川のほとりの松尾大社のある町。
母方の大叔母が住む町。
小学校の先生をしていた大叔母は、
一人暮らしのキャリアウーマンでした。
今は書道家。
子どものいない大叔母は、時々堺の我が家を訪れ、
私をよく松尾の自宅へ連れて行ってくれました。
きれいな桂川の堤防にある公園、お酒の神様の松尾大社、
その門前にある松尾そば、のにしんそばは、
幼いころからの私の大好物でした。
少し歩けば、苔寺と呼ばれる西芳寺があり、
その近くには横山大観の美術館があり、
叔母は雪の降る道を私の手をひいて、よく連れて行ってくれました。
苔寺は今は自由に入れませんが、
あのころは、早朝でも夕方でもだれでも自由に入れました。
夏の深いみどりが美しく涼しげな苔寺。
冬の雪におおわれた神秘的な苔寺。
どちらも大好きでした。
叔母は松尾に住む前には、桂離宮の裏に住んでいました。
桂離宮の生け垣と叔母の家との間の道は、ほんの2メートルほどの小道。
桂離宮の生け垣には、
下の方にちょうど子供が通れるくらいの穴が開いていて、
わたしは叔母の家に行くと、
この生け垣の穴をくぐると壮大な離宮の庭園があり、
その見事な美しさに「魔法の穴」と呼んでいました。
そこから奥へ入る勇気はありませんでしたし、
桂離宮自体の値打ちも知らなかった頃です。
だけど、おとぎの国に来たようなあの瞬間、
まるでそこが自分だけの秘密の場所のような所有感は
今でも忘れられません。
穴から戻ってくると、「ロバのパン屋さん」が来て、小道を通ります。
叔母にねだってよく買ってもらったものです。
不思議な美しい光景と、おいしいおやつ。
だから私は、叔母に連れられ電車を乗り継いで
京都に行くのが好きでした。
叔母はおもちゃは買ってくれませんでしたが
「本なら買ってあげる」と言っていました。
いつだったか、私が小学校に上がったころ、
叔母の勤める六波羅小学校に行った思い出もあります。
嵐山に続く松尾。
夜には、松尾大社から続く、低い山から
フクロウの鳴き声が聞こえてきました。
閑静なまち。
今日見たマンションは松尾のどこに建てられたんだろうか。
気になりました。叔母に聞いてみよう・・。
叔母は父と同い年。昭和3年生まれです。
今でも一人で頑張っています。
社会人になってから一度も叔母の家にはいく機会がありませんでした。
なんであんなところにマンションが建つのかな。疑問です。
一度見に行ってみましょう。