今日は、世界でも未曾有の食中毒事件を忘れない日です。
9523人の児童生徒や市民が罹患し、3人の児童を亡くし、19年後にお一人を亡くしました。さらに、当時の給食協会の理事長だった職員さんが、責任を感じて自死されました。
今年も多くの関係者や市民が参加して献花をした追悼と誓いのつどい。
元気に、行って来ますと学校へ向かったこどもたちが、帰宅後、激しい下痢と嘔吐に苦しみ、堺市内外の病院はそんなこどもたちであふれかえりました。
当時は、何が原因なのか、誰の責任なのかはっきりしませんでした。
とにかく堺市医師会をはじめとする三師会が堺市内の21団体に呼びかけ、堺市健康づくり市民会議を設置して、この事件に取り組むこととなりました。
そこで、私もその一員として、この追悼と誓いのつどいを提案し、三ご遺族のうち、お二方のご遺族に直接お会いして、許可をいただきに上がりました。
ご遺族は、堺市に対して大変な怒りと落胆を抱いておられ、堺市の人たちの顔は見たくないが、せめて亡くなったこどものことは忘れてほしくないという強いお言葉をいただきました。
以来、追悼と誓いのつどいは市民会議として担っていましたが、やはり学校給食に起因することが明確になっているのですから、堺市と堺市教育委員会が主催すべきだと考え、要望して来ました。
数々の変遷を経て今のつどいに落ち着いています。
30年前、私はまだ議員ではありませんでした。けれども当時は、堺市の動きに関して市民会議を設置してこの事件に不信感がありました。だからこのつどいには、特別な思いを持ってきました。
大事なこどもさんの生命と未来を奪ってしまった堺市として、彼女たちが、生きて帰って来てくれない以上、どんな償いも償いにはならない。二度と起こさないのは当たり前。そんな言葉を今さら何度繰り返されたって、何も伝わらない。
そんな思いを想像して、寄り添うことしかわたしたちにはできないと思います。
5月議会で問うたのは、ご遺族や後遺症の治療中の方々とのコンタクトは、どなたがどのようにとっているのか、いないのか?ということでした。明確な回答は未だありません。
このつどいに、ご遺族はお越しになりません。最初からそうおっしゃっていました でも、今日も私はもしかしたらと、最後までお待ちしていました。あれから30年。
お一人のお父様はお子さまを亡くされた直後の校区のお祭りに当時の市長一行が来たが、自分の前を素通りされたことが怒りに火をつけたとおっしゃっておられました。だから私はお父様のお顔を忘れられません。
お手紙を認めたいと思います。
ただただ、あの日の夕焼けの中で共に涙した想いは、今も変わらないと。
亡くなられた4人の方々に心からの追悼を捧げます。また未だに後遺症に苦しんでいる方々にお見舞いと、ご家族や御関係者の皆様に、堺市やわたしたちが誠意を持ち続けることを誓います。
市民会議を設置してこの事件に









永藤市長の追悼と誓い。

関教育長のご挨拶。

長谷川議長からの追悼と誓い。

岡原医師会会長の追悼と誓い。



