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自己すらバーチャルに挿げ替え浮遊する若者 1月8日

インターネットは瞬時に世界とつながる。

確かに便利で、

世界の国々においても数日で何十万人もの人々が

抗議デモを組織実行できる時代になった。

 

一方で、2ちゃんねるのように、

匿名で個人を中傷誹謗し続ける、陰湿さも拡大している。

 

さてさて、職業柄、様々な人から相談を受ける。

親身に、誠実に当然、合法的に対処するのが責務である。

 

昨年の10月のある日の早朝、

1本の電話がかかってきた。

親元を離れ、遠い所に住んで居る娘から、

「助けて」という電話が入り、その後電話を掛けると、

娘の横で男の声で「ぶっ殺すぞ」という声がして、

電話が切れ、その後は電話がつながらなくなった。

 

「困ったことになった。でも誰にも言わないでほしい。」

こんなセリフから始まる母親からの相談の電話。

 

私は、すぐに大阪府警に電話、

そして関東の県警に電話、

さらに所管の警察署に電話・・

日曜日・・。

地元の警察署が走ってくれた。

彼女は救われた。

 

付き合っている若い男が部屋で暴れまわり、

暴力を振るわれていたのだ。

 

その後、26歳の彼女本人からも、

頼んできた両親からも一言の連絡もない。

 

ところが、

昨夜偶然、彼女がバンドをやっていた相手の男のブログを発見。

ついで彼女自身が最近始めているブログも発見。

2人がいまだにつながっている可能性を感じながら、

どちらも30歳近くのわりに幼い内容のブログを読んでしまった。

 

腹が立ってきた。

 

26歳にもなって、

迷惑をかけた人々に一言もなく、

わがことをたらたらブログに書いている。

 

男の方のブログには「鍋」というタイトルで、

昔付き合っていた人にひどいことをした「過ちの鍋」、

つまり暴力をふるった鍋として記されている。

この男が、昨年10月の男かどうかは不明だが。

 

彼女らは、

本当の意味での自尊感情は低いが、

自己顕示欲だけは強い。

ブログの内容も、

一見反省しているふりをして、

おそらく父親に言われたであろう「騙される方が悪い」とか、

「いじめられる側にも原因がある」とか、

「自業自得」ということばの使い方が悪いと批判している。

おまけに自分の写真まで掲載。

 

都合の悪いことは全く書かれていない。

 

聞けば、

彼女の祖父は長男の初孫である彼女にほとんどの学費を援助し、

関東の大学まで卒業させた。

しかし彼女は定職に就かず、

「歌手になりたい」という夢を追いかけていた。

それはそれでいいが、

相変わらずおそらく、いまもなお、親のすねかじりのまま、

「人生のやり直し」なんていう言葉を口にしながら、

バーチャルなブログの世界でのうのうと遊んでいるに過ぎない。

 

親や周囲の人間もまた、遊ばせているのだ。

そして親すらそのフォローができない。

こんな親だから、子どもがこうなるのは当たり前。

その場しのぎで、自分さえよければいい親だから。

子どもに嘘をつくことを教え続け、恩あるおじいさんに背かせ、

礼儀作法を教えていない。

自分もできない親だから仕方がない。

元々彼女が遠くの大学に行ったのも、母親の考えであり、

父親が酒を飲んでは暴力を振るってきたからだと聞いている。

 

まあ、あきれ返る。

反面教師にさせていただくことにする。

 

パソコンの箱の中で、

現実の自己からどんなに逃避しても何も変わらない。

26歳にもなって、

自分の尻拭いもできない娘を腫物を触るようにするだけで

迷惑をかけた人間に、

おわびの一言も、近況報告もできない親。

そして何よりも本人が問題だ。

このような親子の先は見えている。

いまより状況がよくなるはずはない。

 

たとえあんな風に、ひどい暴力を振るわれても、

彼女は親よりも彼にすがったのです。

その意味を親が、今よく考えなければ、

同じことの繰り返し。

この期に及んで就職の世話?御冗談を。

 

こんなことすら話す機会もないと思うけれど、

これからこんな勝手なひきこもりや、

すねかじりばかりが増えてきたら、

どんな世の中になるんだろう、と嘆かわしい。

 

他方、最近のDV相談は、

暴力を振るわれながらも経済的に逃げるお金もなくて

 どうしたらよいか、

というケースが多いのです。

 

 

これらの問題の究極の解決は、

「教育」によってでしかなされません。

自己をバーチャル化するのですから、

暴力行為もバーチャルのゲームのように思えるのではないでしょうか。

ありがとう、ごめんね、ということが直接いえない人間関係など、

うまくいくはずがありませんよね。

 

そして最終的には、だれも助けてくれなくなります。

匿名の自分を着飾り、虚構の世界に生きるより、

現実の世界で人間らしく生きることが、

たとえ失敗しても大切なのではないでしょうか。