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腕をふるって・・ 3月7日

夕方、いつもよりわずか30分ほどの余裕があれば、

ちょっとだけ手の込んだ夕食を、と思い、

昨夜はアマダイを使ってフランス料理。
春の訪れを告げる、きれいなグリーンアスパラと、トマトを添えて。
イタヤ貝もお刺身で、からし酢味噌にきゅうりを添えて。

写真を撮るのを忘れてしまって・・ぱくぱくといただきました。

父の分は魚の身をとり、アスパラもやわらかめにして、刻む・・。

こどもたちは
「今日の晩御飯、きれいやな」
「この魚、うまい」とかいいつつ平らげて。
「このからし酢味噌は、マクドのマスタードソースの日本版やな」
「和製というんよ」

大学受験を無事に終えた、私の弟の息子、

甥っ子の「壮輝兄ちゃん」がこのごろ、

家庭教師のアルバイトに来てくれています。
よって食卓もにぎやか。
 

甥っ子の母は、甥っ子が小学校6年生の時に

乳がんでなくなったあの雅子さん。
弟が、雅子さん亡き後、二人の息子を一人で育てあげました。
和泉市に住んでいますが、

毎週、週末には3人で我が家に来て

一緒に遊んだり食事をしてきました。
早くに母を亡くした「壮輝兄ちゃん」は、

彼の兄の「陽平兄ちゃん」とともに
彼らの母の生前中も、

8年間、病と闘い続けていた母を手伝って、

幼稚園のころから食器のあらいものや洗濯、そうじ、

身の回りの始末など幼い時からよくできるようになっていました。

一緒にスーパーに行った時も、小さな体なのに、

大きな買い物袋をあたりまえのように二人がさっさと持つのを見て、

いじらしく思ったものです。
雅子さんが、

私に「おねえさん、この子らをかわいそうと思わんといてやってね。

この子らは自分で何でもできるようにならんと困るから・・」と言ったとき、

涙をこらえるのが精いっぱいでした。
雅子さんのこの世の最後の言葉は

「おねえちゃん、陽平と壮輝をくれぐれもよろしくお願いします。

お姉ちゃんしか頼めない。よろしくお願いします。」と。
堺の市民病院で雅子さんの背中をさすっているときの言葉でした。
「まかしといて。約束するわ。」

雅子さんという女性はお寺の娘さんで、

本当に何をやらせてもきちんと上手にできる人でした。

きちんと生活ができる人。文化的な人。
お料理も、お雛さんの時にはかならずチラシ寿司をつくり、

春には春の、冬には冬のおいしい料理を作る人でした。
同じようにおネギの小口切りをしても、

それはそれは早く見事に切れる人。

尊敬に値するネギの山ができてきます。

余命3か月と言われて、

8年苦しみながらも手術を受けず、

生き抜いた人です。
彼女の生きざまと弟家族の苦しみを見ながら、

私は堺市に乳がんのマンモグラフィーの検診を

市民検診に導入することを提言し、実現しました。
さらに堺の市民病院において、

食道がんだった母、

乳がんで逝ってしまった雅子さんのような患者が、

もっと高度な医療が受けられるようにと奮闘してきたつもりです。
こんな悲しみには耐えられません。

こんな苦しみを他の人に味あわせてはいけない。
そんな思いがあります。

「壮輝兄ちゃん」は遺伝子工学を専攻し、

がんの撲滅を仕事にしたいといっています。
数学と物理がずば抜けてできる、壮輝兄ちゃんから、

わが子が学ぶことは何なのか。
息子が6年生。

同じ年のころ「壮輝兄ちゃん」は母を亡くしました。
日々がんばっているのは私だけではありません。

家族がみんなで頑張ること。
そのことが大事なんだと思います。
そして健康であること、一番大事ですよね。

わかっているけど万一病気になっても、
病気であっても、

生きている間は生き抜くことを私は雅子さんから教えてもらいました。
ありがたいと思っています。
雅子さん、

陽平も壮輝も新しい人生の扉を開いて、

がんばっていますよ。

安心してね。
あなたのようにはいかないけど、

ときどきわたしも腕を振るっています。