あの未曾有の学童集団下痢症から28年。
堺市健康づくり市民会議のメンバーとして、ご遺族のお宅に伺い、追悼と誓いの集いの開催の許可をいただいた。「娘のことを忘れないで欲しいから」とおっしゃってくださったご遺族と共に涙した。
誓いの碑の建立にも時間がかかった。
7月12日を「忘れない日」と議会で提案し、堺市が決定した。
それ以来、毎年欠かさずに追悼と誓いの集いを開催し、今は堺市と市教委と堺市健康づくり市民会議の共催となっている。
途中、この集いも何度か開催が危ぶまれたことがあった。その時も中心的役割を果たしたのは堺市女性団体であり、医師会をはじめとする市民会議だった。
一旦市教委にバトンを委ねたが、新任教員の研修のついでに開催され、市民会議は、激怒した。
そもそも主催は市民会議ではなく堺市と市教委が主催するのは当然のことだった。しかし主催を任せるとその主旨が変わってしまった。
だからまた、市民会議と共催になった。
一方で事件後、市教委の幹部や給食担当関係者、学校園、また保健福祉局が、どれほど給食の安全性に神経を使ってきたことだろうか。
今年も多くの学校関係者と市民が一般献花に参列してくださっていました。
その献花の前に閉式してしまったので、それはおかしいでしょう、と伝えました。市民参列のほとんどは女性団体の方々です。そんなことも気にもかけていないのでしょう。
歴史を知らない理事者や職員が、知らないままにことを進めると愚行になる。
関教育長は、今日お会いするなり、「先生のO-157の文集の記事を読みました。これまでのことがよく分かりました。ありがとうございます。」と静かな面持でおっしゃってくださいました。
関教育長は、歴史に学ばれていたのです。
今日いるべき局長がいなかったことも気になりました。逆に元医師会長の岡原猛先生や堺市社協の静前会長が参列されておられたお姿に感銘を受けました。
この追悼と誓いの集いは、命に対する堺市と市教委の誠意がいかなるものかが表れる場です。
一度も欠かさず参加してきて思うところはあります。
亡くなられた4人の方々のご冥福を祈ると共に未だに後遺症に苛まされておられる方々が一日も早く完治されることを願い続け、堺市と市教委の取り組みがこれからも真摯なものであるよう、議員として働いていきます。