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終わらない呼びかけ 3月31日

O-157学童集団下痢症は、もう20年前の1996年の夏、
堺市で発生し、9523人もの罹患者と3人の少女の生命を奪った
未曾有の恐ろしい出来事でした。


昨日、堺市教育委員会は、昨年10月にO-157の後遺症で
治療を受けていた25歳の女性が亡くなられたことを発表しました。


最初に聞いた時から、私は全身の力が抜け、数日間、
自分が自分でないような有様でした。
あの事件当時の恐怖、子どもたちの痛み、親のうろたえと堺市の混乱。
あろうことか学校給食に起因する大腸菌の感染症。当時公営プールは、
堺市医師会の樋上前会長の提言で閉鎖され、感染拡大が防がれました。


そして、堺市の三師会の呼びかけで市内21団体が
堺市健康づくり推進市民会議を結成。堺市の健康福祉局の所管でした。
当時、結成趣旨の中にO-157学童集団下痢症の文言がなく、
私はそのことを許さなかった。
まだ議員ではなかったけれど、女性団体の一員として参画。
闘いの始まりでした。


ずっと追悼と誓いのつどいを続けてきました。
議員になってからも、つどいは、もうやめてはどうかと、
様々な形で圧力もかけられました。
誰にかけられたかは、明確に覚えています。
 

学校給食で、子どもを死なせ、後遺症に苦しむ子もいるのに、
それをなかったことのようにするなど、あり得ない。
あんたこそ、今すぐ辞めろ!
そんな誠意のない堺市じゃダメなんやと返したことも。
 

その私の胸に刻まれているのは、当時追悼と誓いのつどいを
市民会議で開催しようと、ご遺族の家を訪問した時に見た、
一年生の少女の小さなバレエのトウシューズ。
仏壇の横に積み上げられたお菓子。お母さんの怒りと悲しみを
共に涙して聞いたこと。六年生の女の子の小さな骨ツボ。
お父さんの悲しみと怒り。
 

今となっては、うちの子が亡くなったことを忘れないでほしい、
事件を風化させないでほしい。
という親御さんの悲痛な言葉でした。
 

あれから、O-157を忘れない日を7月12日と決め、
堺市役所の玄関にO-157学童集団下痢症で亡くなられた
三人の少女の生命が失われた日を刻んだ誓いの碑が建てられました。
 

ようやくご遺族との補償交渉にもこぎつけた矢先の、今回の女性の訃報。


ご遺族にとって、補償などなんの意味もない。
むしろ大切な子どもの生命が、たかがお金にすり替えられるようで、
嫌だと思います。

行政の事務手続きにすぎない。
だから補償交渉が終わっても、解決とはいえないのです。

今、当時罹患された方々は、不安で心配でたまらないはずです。

堺市は、その不安と心配を払拭し、
罹患者の方々の健康を守る義務があります。

さて、議会も終わっていますが、しっかり呼びかけていきます。
手だてを講じることを。

亡くなられた女性。ごめんなさい。
未来に向かって、いっぱい夢を持っておられたでしょうに。ごめんなさい。
守ってあげられなかった。助けてあげられなかった。

悔しいかぎりです。