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活動日記
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阪神淡路大震災から24年 1月17日

黙祷から始まる朝。


24年前の大震災。6434人もの尊い命が失われた日。
あらためて心からのご冥福をお祈りすると共に、
大切な人を失ってしまわれた方々に

何が起こっているのか、情報が錯綜する中、
堺市役所の21階から見た光景は、未だに忘れられない。

堺からでも、神戸あたりの町から黒煙が上がっているのが見えた。

私は、製薬会社に勤めていた頃よく通っていた、
長田町で小さな喫茶店を経営していた老夫婦のことを案じていた。

長田町一帯が焼けているという報道、
いつも走っていた高速道路が倒れている報道に
凍りついてしまった。

 

翌日、まだ議員ではなく女性団体の事務局長を担当していた私は、
先代の山口彩子委員長らの指示で、知り合いの会社社長に
大型のコンテナトラックを出してもらい、
イトーヨーカドーに支援物資を買いに走った。
義援金を集めている暇はなかった。
先代委員長から札束を預かって。

 

水、赤ちゃん用のオムツ、ミルク、生理用ナプキン、食料、男女の下着など、24年前には、まだ防災や災害支援に、ジェンダーの視点がなかった時、
女性団体として、
女性の視点で災害弱者への支援物資を調達した。

2リットルのペットボトルの水が、それまでより値上げされていた。
でも大量に買った。
この件を報告すると先代は、当時の会長に
なんということをするのかと、消費者としての抗議をした。

コンテナいっぱいの支援物資は、揃えたものの、神戸までの交通機関は、
マヒしていたので、トラックでは運べない。

そこで議員でもあった先代委員長が、堺市に相談すると、
堺市の消防艇でほかの支援物資と合わせて即座に搬送してくれた。

 

 

 

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そんなことをあれから毎年思い出し、東日本大震災や、

スマトラ大震災、広島豪雨災害、熊本地震などについても、
災害支援のあり方をよく考えながら、支援してきた。

 

今日、鹿児島の口永良部島で火山が噴火した。

現地の皆様のご無事を願います。

生団連でも、災害支援ネットワークが構築され、
企業と消費者による計画から実践への詰めが行われている。

災害大国日本。

誰一人取り残さないための防災や減災、避難所の環境改善、
支援ネットワークのあり方は、まだまだこれから。

 

それでも災害はやってくる。

国や自治体のリーダーのリーダーシップと
市民一人ひとりの防災力の向上が求められている。

今日、防火用水についてチェックします。

自分に出来ることを考え、大枠のシステムを詰める作業の一つです。

今日は、寄り添いと備えの一日を。