午後7時から、ふれあいセンター大ホールにて。
竹山市長、平田たかあき議長、
大毛議員、中井議員などたくさんの来賓にまじり、
私も人権問題の共闘団体の代表として招かれました。
ふれあいセンターも老朽化し、
建て替えられることになっていますので、
立派な大ホールもなんだか切なく思いました。
そう先代の母の時代を思い出していました。
解放同盟の支部大会と言えば、
役所の職員だけでも100人以上は出席し、
狭山事件の解決に向けて黄色いゼッケンを胸にした
同志の皆さんの熱気にあふれていました。
今は亡き河村さんのこともよく思い出します。
時代は変わり、生活改善を含め、
一定さまざまな整備は進められてきました。
けれど部落差別そのものの実態は、
悪質化し、増幅しているように思います。
かつて部落地名総監をもっていた企業は
その反省に立ち改善されているところもありますが、
いまもなお就職差別や結婚差別は後を絶たず、
地名総監の実態は解決しているとは言えない。
母がよく私に言っていました。
「日本において部落解放運動と、
女性解放運動とは同一線上にあるもの」と。
かつての運動の担い手が高齢化する中、
新しい世代の担い手が未来に向かって、
共にこれからも共闘できることを願って帰路につきました。