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地震の朝からお手伝い 4月13日

午前5時33分に大きな地震がありました。

堺市の防災無線からアナウンスも聞こえました。

どなたにも東日本大震災、

阪神淡路大震災の惨禍の映像が浮かび、

恐怖に取りつかれたことと思います。

地震の被害状況がなかなかわからない中で、

子ども二人は学校への交通機関がマヒしていることから、

休校。


堺市の市民の皆様のことを案じながら、

また被災の状況を案じながら女性センターへ向かいました。

今日は女性センターの生涯学習事業、

「堺自由の泉大学」の今年度受講申し込み受付の日です。



今から34年前の昭和55年に、

堺市立婦人会館が、堺市女性団体の27年間にわたる

婦人会館建設運動によって建設の実現がなされました。


当時の多くの先輩たちは、

戦後間もないころから3本100円の歯ブラシを

会員さんに販売したり、各校区でバザーをしたり、

わずかな利益であってもコツコツと建設基金を積み立ててきました。


初代女性団体の委員長辻本八重さんから始まった建設運動です。

そして堺市との団体交渉も続けられてきました。

けれどなかなか建たなかった。

歴代の市長は「おなごの会館」より

もっと大きな博物館とかのたまい・・。

そんなことから女性たちは、

草の根レベルで女性議員を輩出することを決めたのです。


ただし、

女性団体は政治団体ではありませんので、

選挙の時にはまた別に有志が集まり

 堺女性政治連盟の結成をし、

議員を輩出してきました。


3代目委員長山吉寿子。4代目委員長山口彩子。

無所属の市議会議員として特定の政党や企業にとらわれない、

草の根の女性の声の代弁者として議会に送り込まれました。


海外では、

すでに先進国も開発途上国もいずれも

さまざまな女性団体の代表が議員に輩出されるというのは、

当たり前のことですが、

なにせ女性の地位が135か国中

101位というような日本にあっては、

まだまだこんなことすら、

当たり前のこととして認識されにくいのが現状です。


4代目山口彩子委員長の時に、

建設運動はピークに達し、

1口1000円の「大型募金」

(当時の1000円は高額だったのですね)運動を行い、

7700万円もの募金が集まり、

それを堺市に「婦人会館建設条例」が設置されたのを

確認したうえで婦人会館建設基金として寄付をしたのです。


そして昭和55年、

我堂武夫市長の時に堺市立婦人会館の建設が実現しました。


そこで当時の先輩女性たちが偉かったのは、

この会館が生きた施設になることを

研究しつくしていたことです。

建設運動と同時に、全国の婦人会館を視察し、

(まだ当時は国が毎年1都道府県に1館ずつというような

スローペースで婦人会館の建設計画を持っていた時でした)

どこの会館も建物は立派だけれど、市民がいない、

職員がいるだけのさびしい感じの会館が多かったようです。


そして「箱もの」だけではだめだ。

つまりハードだけではなく、

ソフトが必要だという明確なスタンスを持ったのです。


もともと女性の人権の確立や

男女平等社会の実現や女性の社会参画の推進という

目的をもって建設されるわけですから、

その目的を達成するためには教育事業を行うしかないわけです。

単に「女性差別をなくしましょう」という標語を掲げ、

ポスターを町中に貼ったとしても

「啓発」だけでは「人権問題」は前にはいかない。

やはり「教育」が必要です。

それは学校園教育、生涯学習、社会教育、家庭・地域教育

すべてにおいて必要なことなのです。

だから婦人会館は教育委員会の所管であり、

文科省の所管であるのです。


このあたりのことは、

今の行政の担当者でも明確に分かっている人は少ないといえます。


行政は、何も考えずに他都市に倣うだけ、

流行に追従するだけでは、

堺市のオリジナリティーを発揮することはできません。

いいことは真似すればいいですが、

ある意味男女共同参画などの分野や教育、

医療については、

他都市に真似されるくらいの施策や手法を

展開するべきだと考えます。


堺市のリーダーは市長をはじめとして、

明確なビジョンやスタンスを、

わかりやすく市民に伝えることは必要です。

原発に関して、エネルギーに関して、

市民の関心の高いことも市民が気づいていないことも含めて。


今日は、

 女性センターの生涯学習事業である

日本でも有数の質の高さを誇る堺自由の泉大学の受付に、

依頼を受けましたので、

総勢30名くらいの女性団体のメンバーが

午前7時30分から受付業務のお手伝いをしました。


教育委員会は、

女性センターの職員をはじめ

本庁からも17名の職員さんがやはり早朝から

応援に駆けつけてくださっていました。

中には今朝の地震で電車が運行していないのにもかかわらず、

来られている職員さんも。


堺自由の泉大学の事務局からは、

100名を超えるスタッフの皆さんが動いていました。


午前7時前には原田教育次長が駆けつけられ、

館の職員に

「大丈夫ですか、館のエレベーターや設備などに異常はないですか」と問われ

安全の確認後、本庁へ向かわれたとのこと。


その上で今日の申し込み受け付けは通常通り、

行うことに決定されました。


例年にも増して男性の申込者の姿が見かけられ、

受付業務はスムーズに行われていました。


皆、スニーカーを履き、

いざまた余震などに備えて心得ながらの、

無事の一日でした。

淡路島は震度6で、

大変なことになっていますが、

死者やけが人が出ないことをいのりながらの

お手伝いの一日でした。